ゆい工房社長 下請時代1
2008/01/19(土)
未分類
私が実家の工務店に入社した当時、盛岡市の住宅会社の下請で年間10棟程度、年間1億円弱からのスタートだったと思います。
20年前、都市部は別にしても地方では「住宅は地元の大工さん(工務店)に頼む」というのが一般的でした。
ですから、私の親父の工務店でも、2年先まで地元の農家のお客様の予約でいっぱいでした。
ところが、その後の大手プレハブメーカーや営業力のある住宅会社の進出で、地場の工務店がどんどん淘汰される時代になってきました。
生き残りの道は二つに一つ。
完全下請けの大工さんに徹するか。営業力をつけて元請け住宅会社になるかです。
下請け工務店に対する住宅会社の支給単価は厳しいものがありました。事務所経費がでません。文字通り生かさず殺さずの下請け支給額です。
これからは元請住宅会社にならなければダメだ。どうやったらお客様から直接お仕事をいただけるかを研究しよう。
ゆい工房(当時:川原建設)が新たに元請け工務店(住宅会社)を目指して出発した瞬間でした。
つづく・・・
20年前、都市部は別にしても地方では「住宅は地元の大工さん(工務店)に頼む」というのが一般的でした。
ですから、私の親父の工務店でも、2年先まで地元の農家のお客様の予約でいっぱいでした。
ところが、その後の大手プレハブメーカーや営業力のある住宅会社の進出で、地場の工務店がどんどん淘汰される時代になってきました。
生き残りの道は二つに一つ。
完全下請けの大工さんに徹するか。営業力をつけて元請け住宅会社になるかです。
下請け工務店に対する住宅会社の支給単価は厳しいものがありました。事務所経費がでません。文字通り生かさず殺さずの下請け支給額です。
これからは元請住宅会社にならなければダメだ。どうやったらお客様から直接お仕事をいただけるかを研究しよう。
ゆい工房(当時:川原建設)が新たに元請け工務店(住宅会社)を目指して出発した瞬間でした。
つづく・・・