ゆい工房社長 幼少時代1
2008/01/01(火)
未分類
●「幼少時代の思い出」編 その1
●新年あけましておめでとうございます。
今年も私ども「ゆい工房」をなにとぞ宜しくお願いいたします。
昨年度のブログもリニューアルしながら、とにかく1年間、1日のブランクもなく社長ブログを書き続けることを目標に今年はがんばります。
皆様のご指導ご鞭撻なにとぞ宜しくお願いいたします。
雑誌の「ラクラ」の1月号(*2007年)の表紙を見て感傷にひたったのは私ひとりだけでしょうか?
そう。盛岡ツウ(自称)の私には、すぐにこの写真がバスセンターと分かったのでした。
私が中ノ橋通に住んでいたのは、あの有名な桜幼稚園に通っていたころ。
換算すると今から35年は経っていますね・・・。
ところが、この「ラクラ」の写真はそのころの私のバスセンターの印象そのまま。正直、盛岡の保存建築物として指定したほうがいいのじゃないかと真剣に考えたほどです。
ありがたいことですねー。昔の思い出そのままのノスタルジックなこの建物、雑然とした中に庶民の香りただよう雑菓売り場コーナー。この風情がこのまま残っていることを祈るばかりです。
(*2007年の記事の一部転載です。)
●新年あけましておめでとうございます。
今年も私ども「ゆい工房」をなにとぞ宜しくお願いいたします。
昨年度のブログもリニューアルしながら、とにかく1年間、1日のブランクもなく社長ブログを書き続けることを目標に今年はがんばります。
皆様のご指導ご鞭撻なにとぞ宜しくお願いいたします。
雑誌の「ラクラ」の1月号(*2007年)の表紙を見て感傷にひたったのは私ひとりだけでしょうか?
そう。盛岡ツウ(自称)の私には、すぐにこの写真がバスセンターと分かったのでした。
私が中ノ橋通に住んでいたのは、あの有名な桜幼稚園に通っていたころ。
換算すると今から35年は経っていますね・・・。
ところが、この「ラクラ」の写真はそのころの私のバスセンターの印象そのまま。正直、盛岡の保存建築物として指定したほうがいいのじゃないかと真剣に考えたほどです。
ありがたいことですねー。昔の思い出そのままのノスタルジックなこの建物、雑然とした中に庶民の香りただよう雑菓売り場コーナー。この風情がこのまま残っていることを祈るばかりです。
(*2007年の記事の一部転載です。)