会津若松 鶴が城と茶の湯
2013/03/17(日)
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鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われています。 戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。 明治7年に新政府によって取り壊されましたが、昭和40年に再建されました。 平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。 私がとても印象的だったのは同じ城内にある茶室麟閣です。 千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、キリシタン大名としても有名な蒲生氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけたのだそうです。 少庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。 そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城(若松城)内で大切に使用されてきたのだそうです。 |